荒川を望む
社会福祉法人埼玉療育友の会は昭和29年8月に任意団体として結成され、昭和32年3月に財団法人に、昭和40年3月に社会福祉法人として設立許可されました。
現在、当法人は寄居町において医療型障害児入所施設・療養介護施設である埼玉療育園と障害者支援施設山鳩よりいを、富士見市において特別養護老人ホームはるな苑を運営しております。
この三施設の中核である埼玉療育園は昭和33年5月10日児童福祉法の設置許可と医療法の病院開設許可を得て、県内で初めての肢体不自由児施設として開設されました。
この開設に当たっては創設者の蓮江信行博士の肢体不自由の子供に対する福祉の熱い思いと埼玉県、寄居町のご指導・ご鞭撻、地元寄居町民の皆様の絶大なご協力をいただきました。
埼玉療育園は当時の課題として、年齢超過者が増えたことに伴う成人棟の設置が急務となり、昭和55年11月、身体障害者療護施設 埼玉療護園を開園しました。(平成20年10月名称を現在の障害者支援施設 山鳩よりいに変更しました。)
さらに平成19年4月には高齢化社会の中、富士見市に特別養護老人ホームはるな苑を開設しました。
当法人は創設者の蓮江信行博士の「かくすなかれ、あせるなかれ、あきらめるなかれ」の原点に立ち返り博士のともした「福祉の灯を守り育て、福祉の砦になる」の考えのもと「笑顔あいさつ思いやり」を日々実践しております。
1909年(明治42年)~1973年(昭和48年) 埼玉県行田市出身。
昭和21年飯能市に蓮江病院を開設。昭和26年に埼玉県身体障害者更生相談所嘱託医師となり、昭和27年埼玉県肢体不自由児療育指導医埼玉県身体障害者福祉審議会委員を経て、昭和29年に同審議会長、埼玉療育友の会設立と同時に理事長に就任し「手足の不自由な子どもを育てる運動」を展開する。
その後、昭和33年寄居町に肢体不自由児施設「埼玉療育園」を開設し、園長に就任する。昭和40年には埼玉県身体障害者福祉協会の会長となり、現さいたま市に埼玉県身体障害者共同作業所を設立し所長に就任。
昭和47年には藍綬褒章を受章し、昭和48年5月10日埼玉療育園創立15周年記念式典を終えた後、20日に脳出血により逝去。
法人の沿革
昭和29年8月 埼玉療育友の会設立
昭和32年3月 財団法人に改組
昭和33年5月 埼玉療育園開園
昭和33年11月 寄居小学校埼玉療育園分教場開設
昭和40年3月 社会福祉法人に改組
昭和62年4月 埼玉県立熊谷養護学校分教室開設
昭和55年11月 身体障害者療護施設 埼玉療護園開園
平成12年3月 熊谷養護学校分教室閉室
平成19年4月 特別養護老人ホームはるな苑開苑
平成20年10月 埼玉療護園を山鳩よりいに名称変更
法人の所在地
〒369-1204 埼玉県大里郡寄居町大字藤田179-1
理事長
杉田 勝彦
役員等の定数
理事 6~8人 監事 2人 評議員 8~12人 顧問 1人
運営方針
昭和33年5月、肢体不自由のある児童に対して治療や自活に必要な知識技能を与えることを目的として「肢体不自由児施設埼玉療育園」を開設しました。
平成22年4月、重度の知的障害及び重度の肢体不自由が重複している児童を入所させて、これを保護するとともに、治療及び日常生活の指導をすることを目的として重症心身障害児施設 埼玉療育園を併設しました。
平成24年4月、児童福祉法等の改正に伴い、主として18歳未満の肢体不自由児及び重症心身障害児が入所する児童福祉法の障害児入所施設と18歳以上の重症心身障害者等が入所する障害者自立支援法の療養介護施設に移行しました。
令和2年7月に新病棟が竣工し、現在90床となっています。
埼玉療育園では付帯事業として、地域で生活する障害児(者)の方を対象にした生活サポート事業、児童発達支援事業、居宅介護・移動支援事業、特定相談支援事業・障害児相談支援事業をおこなっています。
昭和55年11月、常時の介護を必要とする身体障害者が入所し治療や療護などを受ける「身体障害者療護施設埼玉療護園」を開設しました。
平成20年10月、障害者自立支援法の生活介護事業、施設入所支援事業及び短期入所事業を実施する障害者支援施設に移行し、名称も「山鳩よりい」に変更しました。
平成19年4月、65歳以上の者であって身体上又は精神上著しい障害があるために常時介護を必要とし、かつ居宅においてこれを受けることが困難な者が利用する特別養護老人ホーム「はるな苑」を開設しました。老人デイサービスセンターと老人短期入所施設を併設しています。
※デイサービス事業は現在休止しています。(令和3年4月現在)
直近の前年度決算、定款、役員等情報については法令に基づき、独立行政法人福祉医療機構ウェブサイトへ公開しております。
蓮江記念公園 荒川の風景